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Hai♪もちママ

もちはだサイト管理人が日頃思うことを綴ってます。ホット一息入れてくださいね~♪

2007/06/23瞳孔が開く目薬

突然右の視野に、万華鏡の色なしバージョンのような線が出現。
まばたきしても消えないし、微妙にその形も変化し続ける。
受話器片手に打ち合わせしながらも片目を覆ってみたり、目の玉をくるくる回してみたり。
それでも消えない・・・キラキラの線・・。

ドキドキ・・もしかして、ちょっと・・ヤバイ・・?

その後数分して消失。
それ以降は、出現しなかったのでやり過ごそうとしていたのですが、「必ず眼医者さんへ行くように!」との命令で、しぶしぶ診察に行くことにしました。

「今日はどうされましたか?」と、看護士さんの診察前の問診。
「突然、光の線が・・うまくいえないのですが、万華鏡のような立体的で色の
ついていない鏡の破片のようなものでできた線が、右側の視野に出てきた
んです。今はないですけれど・・」 と、しどろもどろながらも精一杯な説明。
「じゃあ、基本の検査をしましょう。こちらへどうぞ。」

そこで、目に風を当てる眼圧検査や赤い点を見つめる検査、お馴染みの「右」「左」「上」「下」の視力検査まで。

診察室に入って、席に着くと、先生が一言。
「それは・・、稲妻のような光ではなかったですか?」
「あっ、はい!そう、それです!」

先生の説明によると、片目だけでこの光が見えるのと、両目で同じ部分にこの光が見えるのとでは、原因が大きく違うとのコト。
片目だけの場合は、明らかに目の異常なので、その目を詳しく検査する必要あり。
両目の場合は、目ではなくて、脳の血管の収縮によるもので、偏頭痛と同じで一過性のもの。

「右目だけで見えましたか?それとも両目で見えましたか?それが大きなポイントなんです!」
と、先生にじっと見つめられて、詰め寄られたのですが、
「すみません・・・はっきりわかりません・・・(・・;)」

ということで、念のため右目の詳しい検査をすることに。

「では、検査をするために、瞳孔が開く目薬を入れますね。」

「瞳孔が開く目薬ですか・・??!!(@_@;)」

こういう一般的な医学的検査に、とんと疎い私。
平静を装っていたつもりだったのですが、たぶん見透かされたのでしょうね・・(^^; 看護士さんが丁寧に説明してくれました。

「大丈夫ですよ。痛みも何も全くありませんから。ただ、少し光がまぶしく感じるようになって、ぼやけますので手元がみえにくくなります。5時間ほどで戻りますから、心配はいりませんよ。」

それから5分おきに2度その目薬をさしていると、見え方にちょっとした違和感が。
そのタイミングで、診察室に案内されて、右目をがっちり固定されての検査を受けました。

「顕微鏡の向こうから私の右眼球はどんな風に見えてるんだろ・・理科の教科書に載ってたあんな感じかなぁ・・」などと思いながら、指示通りに眼球を上下左右。

おかげさまで、右目に異常は見つからず、例の「稲妻」は、頭痛のカワリダネだったようです。

瞳孔が開いた自分の右目を鏡で見てみると、確かに本来点のような黒目が茶目とほぼ同じ大きさにまで広がってる。
そして、蛍光灯の光を見ると、左目だけの時より、右目だけの時の方がまぶしいし明るいし白い。
手元はぼやけるとはいえ、包丁を持つことには問題なし。
でも、気分が悪いとまではいかないけれど、なんかヘン。
うん・・やっぱりいつもと違う・・・。

皆さんも、もし、突然視野に「稲妻」が現れることがあれば、その時は必ず片目だけに見えるのか、両目に見えるのか、検証をしてくださいね。
それが、診断の大きなポイントで、「両目で見えた」と言い切ることができれば、瞳孔が開く目薬のお世話になる必要は、ないようです・・・(^^)

2007/06/20「なにさぼっとんや、走れー!!」 

バスケットボールというスポーツを知ったのは、中学校のクラブ活動選びでした。

中学入学と同時に加古川に引っ越してきた私は、当然知り合いなど一人もいるはずもなく、周りの人たちが、友達同士で「同じクラブに♪」という相談をしている中、これからの放課後の時間を何に費やそうか・・何になら夢中になれるのか・・・何がカッコイイのか・・・そんなコトを考えていたように思います。

中でも「何がカッコイイのか・・」これは、その当時かなり重要なポイントでした。
というのは、 以前住んでいたのは、都市部近郊。
「田んぼ」というのは、父の田舎でしか目にしたことはなく、まさか自分が住む家の数十メートル先にたくさん点在するなんてこと、考えられなかったのです。
小学生の頃は、いつも「車に気をつけなさい」「必ず歩道橋を渡りなさい」といわれ続ける環境にいたのに、いきなり通行人すらいない、気をつけても自転車・・という田んぼ道を歩いて通学することになったわけですから、ちょっとした焦りのような感情があったかもしれません。

それでも、個室を与えてもらえた喜びの方が、年頃の私には大きかったですし、加古川のゆったりした空気の中では、苦手な競争をしなくても済むような気がして、むしろこの地で中学生になれることでホッとしていたように思います。     

身体を動かすことが好きだったので、まず運動部。
そして、友人がいない状況だったので、個人競技ではなく仲間と支え合えるスポーツ。
走ることが好きだったので、できるだけ「待つ」という時間帯が少なく、動き回っていられる種目。

消去法で残ったのがバスケットボールだったような気がします。
その頃のどことなく不安な気持ちは、倒れそうになりながらも(何度も倒れてしまいましたが(^^;)走り続ける練習の中で薄らいでいった・・ということもあったかもしれません。

開校2年目の公立中学校で、運動場は砂利だらけのうえ、体育館は未完成。
バスケットボールの顧問は、学生時代サッカー選手だった負けず嫌いの新任体育教師。

とにもかくにも、入部届けを提出した中1の5月から引退する中3の1学期まで、カッコイイなんてコトはどっかに放り出したまま、学校生活の大半を体育館で過ごすことになりました。

2007/06/17五右衛門風呂

今朝は、久々にの~んびり朝風呂に入りました。
夜は、照明を落とした薄暗い浴室で、大量の汗を流すようマッサージしながら気合を入れて半身浴するのですが、朝風呂は、ブラインドの隙間を最大にしてめいっぱい光をとりこみ、ただボーッと湯船に浮かびます(^^;
ゆったりとぬくもっていると、まだ眠っている細胞が、ひとつずつ目覚めていく感じ・・・。
なんとも贅沢なひと時です。
夜のお風呂が心身にたまった疲れや老廃物を取り除いてくれるものなら、朝のお風呂は、これからの活動に備えて、エネルギーを充填してくれるものなのかもしれませんね。

湯船につかりながら、ふと思い出したのは、幼い頃に父の田舎で入っていた五右衛門風呂のこと。

詳しくは覚えていないのですが、お風呂の中に木が浮かんでいて、必ずそれを踏みながら入るように注意されたことは、記憶に残っています。
今なら理屈はわかります。五右衛門風呂というのは、釜の足元部分には直に火が当たるわけですから、相当の高熱になり、直接足を置いたりすると、大ヤケド!!ということだったのでしょうね。
ただ、浮いている木を踏むわけですから、端の方に足を乗せてもうまく沈んでくれませんし、真ん中に足を置いたとしても、水平に沈めていかなければ、すぐに足から外れてしまいます。
いつも先にイトコのお姉さんが慣れた足取り?でさっと入ってくれて、「さあ、お入り」と言ってもらってから、ドボンと入らせてもらっていたように思います。
「周りが熱いから気をつけてね」とも言われたように思うのですが、「熱いっ!!」と飛び上がったイヤな記憶が全く残っていないことからすると、側面はそんな危険な熱さではなかったのかもしれませんね。

「ぬるかったら言いなさいよ~!」と、外から叔母が声をかけてくれて、「ちょっとぬるいぃ~」と叫ぶと、台所の土間の横にある薪をくべるところから火をたいてくれるのです。
そうすると、下から熱くなってくるので、お湯をくるくるかき混ぜながら、「ちょうどになったぁ~!」と言うのです。
こんなやりとりや丸みのある「こっぽり」としたお釜の感じが好きで、少しドキドキしながらも、たま~に訪れる田舎のお風呂を楽しみにしていたように思います。

そして、親戚が集まっても、子ども達が大勢集まっても、一番風呂は必ず祖父で、続いて大人の男性陣。 台所に火の気がなくなってから最後に入るのは、いつも叔母だったことは、子ども心にもなんとなく印象に残っていました。
叔母は、ぬるくなったお風呂を温めてもらうことはできたのでしょうか・・。それも、毎日のこと・・。

今になって、ふと突然思い出した昔の1コマ。
この頃の叔母は、今の私よりも年齢が若かったのかもしれない(・・;)

適温の湯船にのんびり入ることができる・・・
朝から日の光を浴びつつお風呂に入ることができる・・・

うん・・
これから、「ストレス」という言葉を簡単に使うのは、よそう~っと!

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