2017/05/13
日常に起こることは、やはり意味があるのだと感じさせてくれた出来事ひとつ。
先週末、お昼休みに若手女子スタッフ達がバドミントンをするというので、見学にいくことにしました。
シャトルがみあたらず、急遽薄いビニールをくくって、羽子板の羽のような形にしたところ、結構いい感じで飛ばせてる。
ラケットに羽が当たる音、スニーカーの地面を蹴る音、
私は、スポーツから生まれる「音」が好きだったりします。
バスケだと、ドリブルのダムダムとバッシューの床との摩擦音、そして何よりロングシュートがリングにあたらずネットを通過する時のシュポッ。
華麗なプレーはもちろんですが、一流のプレーヤーから生み出される「音」は、ホントにカッコイイ。
そんなことを思いながら眺めていると、
優しい彼女たちが気遣ってくれ、ちょっとやってみることにしました。
そう。
ここで、最近では最大級の衝撃に見舞われたのです。
「1歩も足が出ない。」
最後にボールをもってから10年くらい、
まったく運動もせず、車に頼りっぱなしのデスクワークずくめ。
ほんの少し走ったら心臓が踊ることも、身体がすぐ疲れることも、わかってました。
でも。
この「足が出ない」は、脳が「一歩前に足をだせ!」と命令しているにも関わらず、
足というパーツは、それを無視するかのごとく地面に吸い付いたままなのです。
でも、脳から近い(そんな理由かどうかはわかりませんが)手と上半身は、命令に即反応して前にでようとします。
・・・幸い、こけはしませんでしたが、この図は、今までに体感したことなく、私はちょっと混乱しました。
その夜あたりから、心の中がザワザワ。
なんにせよ、この種の感情をふつふつ持ち続けることはやっかいだというのは、
私自身が一番よくわかっています。
というわけで。
現状をもう一度しっかり把握するために、庭先で、息子につきあってもらうことにしました。
シャトルをドロップ気味に落としてもらったり、左右斜め前にふってもらったり。
バックハンドの距離感がつかめず極端にひろえなくなってるのは笑うしかないけれど、これは今回の問題ではないのでとりあえずは置いといて。
肝心の足の反応はというと、
足の裏に接着剤がついているかのようなあの感覚を味わうことはありませんでした。
付き合わされた息子にすると、全然動けていないのに、「よかったぁ♪」と言っている母をみて意味わからん状態だったでしょうが、私の中では想定内でいられたことにホッ(笑)
ということで。 ちょっと運動を再開しようと思います。 まずは、息子に教えてもらった日々の体幹トレーニングの初歩の初歩から。1分の長さに負けマセン。 |
日常に起こることは、何かを気づかせてくれる。
抗うことと、受け入れることのバランス。
抗う相手は、あくまで自分。
抗うことを楽しみにできるように。しかもその姿がカッコよく映るように。
そこは、さらりと、「大人ですから♪」と、成長していけると最高だなと思うのです。