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理解するより大切かもしれないこと

2008/07/20

子どもの場合、親が(保護者が)許可して初めて出来るコトが、たくさんあります。

ということは、ひっくり返すと、
いくら子どもが強く訴えたとしても、親が許可しないと出来ないコトが、たくさんあるということです。

親とすれば、許可するかしないかは、その判断材料となる「情報」を、子どもに並べてもらわないと決められない・・というのが、ホントのところ。

そこで、判断するために、
子どもの気持ちや考えを聞こうとするし、
子どもから与えられた「情報」を自分の中に落とし込んで、
「自分の尺度」で感じ、「自分の経験値や情報」と照合して
我が子の将来までのことを想像し、深く深く考える。

いや、ちょっと待てよ・・
子どもが出してくる情報を、親の尺度で判断してはいけないぞ。
・・と、思い直して、
子どもの尺度で判断するために、その「情報」の裏にある子どもの心情を懸命に理解しようとする。

「楽しい」と、子どもがはしゃいでいることを、「どこがそんなに楽しいの?」
「悲しい」と、子どもが涙することを、「どうしてそんなに悲しいの?」
「つらい」と、子どもがふさぎこむことを、「何でそれがつらいの?」

親だからこそ、大切な我が子の心情を理解し、共有したい・・理解できるはず、共有できるはず、と。

でもね・・悲しいかな、
我が子は親とは別の人生を歩んでいるし、年齢も生活環境も違うのだから、親がいくら努力しても理解できないこともあるんですよね・・・これが。

さらに、
子どもは、親の必死の努力をよそに、
ドウシテ ワシノキモチヲ ワカッテクレナイノ?!
と、心を閉ざしたりする。

そこで、親は考えるのです。
この子は、いったい何を望んでいるのだろう・・。

もしかしたら・・・
理解されることなんて望んでない・・?としたら・・・?

行き着いたところは、
「どこが?」「どうして?」「何で?」を飛び越えて、
ただ子どもを抱きしめて、
「うん・・わかった。そうしようね・・」と、子どもの気持ちを子どもの言葉通りに受け止め受け入れる度量が、時には必要かもしれないということです。

そこに、子どもの甘えや、わがままや、ずるさがあるかもしれない。

でも・・・
それら全てをひっくるめて、
判断する情報もなく、その裏にある心情を理解するすべもなく、共感も納得もできていなくても、
ただ、子どもの言葉どおりに気持ちを受けとめて受け入れて、許可することができたとしたら、
それが、我が子を信じるということになるのではないかと、思ったりするのです。

そう、
親が子どもを信じるというのは、相当の覚悟と勇気と忍耐が必要だということでしょうね。

そして、
その親の深い思いが、子どもにとっては少々のプレッシャーとなりながらも、
前を向いて歩いていくパワーの源となる、とても大切な事柄の一つなのだろうと思ったりします。

さぁ、にぎやかな夏休みがスタートしました。
皆さんにとっても、素敵な夏になられますように・・(^^)♪

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